20卒NNT(無い内定)ブログ

370日、100社以上受けて2社しか内定がなかった二浪私文のゆとり。そのワケ、発信します。現在ニート1年7か月(就職活動はじめます)。Amazonのアソシエイトとして、当メディアは適格販売により収入を得ています(と書いてありますが現状Amazonの商品を張った記事はない…はず…。)。

社会人に適していない?~心と生活に余裕をもった人になりたいハナシ~

 

みなさんお世話になっております

内定なし夫です。

 

台風が酷くなって停電すると困るので

今のうちにブログの更新をしておこうと思います。

 

今回は就職活動とか関係なく

単なる日記のようなものなので

 

中身はないです。

 

 

 

内定なし夫は"ゆとり世代"

 

さて、将来どのような生活をしたいか考えたとき

これまで受けてきた教育というものは影響すると思います。

 

ボクは"ゆとり教育"を受けてきた

ほぼ最後の世代です(最後がどこかわからないので)

 

ゆとり教育って凄い非難されていますよね

 

「学力が下がった」

「根性がない」

 

なんてことはよく聞くかもしれません。

 

ボクとしては

昔の基準で現在を測ろうなんておこがましい

などと言いたい所ですが

 

昔はもっとバカだっただろう

なんて何の証拠もなしに言えないので

 

ゆとりをもって非難する人たちを受け入れています。

 

 

 

ボクにとっての"ゆとり"

ボクにとっての"ゆとり教育"というより

 

ボクが受けてきた教育はどんなものだったのか

について改めて振り返ってみると

 

人の成長にストレスをかけない教育

だったように思います

 

短所を埋めるのは基本ですが

自分自身のやりたいこと、好きなことに

取り組める自由があったと感じます

 

「すべての部分を平均へ」ではなく

「各自の自由を尊重して平均以上へ」

ですね。

 

といってもボクは平均以上の能力をもってるわけでもなく

下の世代の子たちは凄いと思いますから

ゆとり教育が身を結んでいたかはなんとも言えません。

 

 

ただ思うのは

せっかくゆとり教育を受けたのだから

それに見合った人になりたい

余裕を持った人になりたい

ということですね。

 

 

 

 

 

これを書こうと思ったきっかけ

 

 

この記事を書こうと思ったきっかけですが

日頃の生活には「余裕」や「ゆとり」というものが

見受けられないと感じたためです。

 

 

 

先日の出来事

先日バスに乗っていると、声を荒らげる人がいました。

 

何事かと思いましたが、そこには二人の男性。

ひとりはイヤホンをした今どきの若者

ひとりはスーツのおじさま

 

声を荒らげていたのはスーツの方でした。

どうやら若者の隣の席に座ってよいか聞いている様子

 

「隣よろしいですか?」

スーツの男性は言います。

しかし若者は答えません、彼はイヤホンで音楽でも聴いているのでしょう。

 

スーツの男性は繰り返します「よろしいですか?」

若者は応えません

 

「よろしいですか!?」

「よろしいですか!?!?」

 

男性はどんどん声を大きくしていき

最後には「座りますよ」といってどかっと座席に着きました。

 

 

 

 

ボクには甚だ疑問です。

別に座ればいいじゃないか

バスの席は若者の所有物ではないのだから

 

しかもそのバス

他にも空席が複数あったんですよ。

 

 

 

 

 

 

 

まとめ

 

これにゆとり教育が関係あるかは分かりません

ゆとり教育といっても長いです

 スーツの方はゆとり教育世代でしょうし

 若者がゆとり教育の世代かもわかりません)

 

 

しかし、余裕がないなと感じるのも事実です。

ボクは余裕を持った人間になりたい

と思っています

 

 

スーツの方は現代の社会人として

当たり前に生活している(内定も出ている)

 

そんな人を「余裕がない」と感じ

「そうならないように」心がけるボクは

 

 

 

もしかしたら社会に向いていないのかもしれません。